こんにちは、画家の梅山です。
突然ですが、にんじんを調理するとき先っぽの根がついているところは切り落として捨てていますか?
自分はにんじんを使った料理をするとき、茎が付いていたヘタの部分も細くなった先の部分もいつも捨てていました。
市場で安く手に入れられた3本入り200円のにんじんをせっせと調理していた時、ふといつも捨てる部分に興味が出ました。
ヘタや先の部分=切り捨てて料理には使わない
この等式が自分の中での当たり前の概念として存在していたことに気が付き、包丁を握りしめながらその点を考え直してみました。
いつから自分はにんじんに要る部分とそうでない部分があると決めつけていたのか?
ヘタや先っぽのところを実際に食べて、おいしくないと経験したわけでも無いし、料理本で切り捨てると習ったわけでも無い。
おそらく、これまでの料理やレシピ、料理動画、食事の経験で”なんとなく”捨てるべきだと、そう捉えていたんだと思います。
その勝手に、半ば自然に形成された自分の中の概念(≒決めつけ、思い込み)を認識し、ふぐやキノコのようににんじんには毒はないだろうと高をくくった自分が取った行動。
そう、いつもは切り捨てるにんじんの先を食べてみました。
(ヘタは硬そう~と思いながら今回は見送り。)
およそ1cmに切り落とされたにんじんの先を水できれいに流し、料理の最中に味見を我慢できない少年がするようにポイっと口に放り込んでみる。
触感はにんじん。味もにんじん。皮や先の根のようなものが若干気になるが舌触りもにんじん。
美味しいかと問われればそうでもないが捨てるにはもったいないです。
これからの料理には先は捨てずに食べようと思った瞬間でした。
・・・・・━━━━━━━━━━━━━・・・・・
人間は、生まれ育った環境や得てきた知識をもとに形成された概念にとらわれている側面があると思います。
その概念のおかげで危険を冒さずに生きてこられているとも言えます。
ただ、そうした安全装置の思い込みが人生の楽しみに制限をかけているとしたなら、自分はそれを残念だと思います。
「○○すると多分失敗するかもしれない。」
「○○すると白い目で見られるかもしれない。」
こうした根拠のない概念、思い込みによって選択肢を限らせてしまう経験をしてきたのはきっと自分だけではないはずです。
なので自分は積極的に当たり前を疑い、にんじんの普段捨てるところを食べていきます。
絵に関しても、少しずつ新しい表現を試したり、展示や販売方法も工夫したりしてより大切に飾っていただけるような絵画作りをしていきます。
皆さんも、にんじんの先食べてみてください。(捨てていたのは自分だけ・・?)
告知
富永隼人×梅山尚土 二人展「光の記憶」
透明水彩と油彩、異なる技法による二人展を開催いたします。水彩ならではの優しく柔らかな空気感と、油彩ならではの力強く重厚な光沢。異なる素材が描き出す、心安らぐ風景と自然の表情。光をめぐる二人の表現の対比と調和を、どうぞ会場でお楽しみください。
会期:2026年7月24日(金)~29日(水)
時間:11:00〜18:30(最終日15:30まで)
会場:ギャラリーミウラ(兵庫県神戸市中央区中山手通1-8-19 三浦ビル1F)



